カトリック布池教会

新着情報


 2018/12/02   待降節第1主日        12/7〜のお知らせを記載しました。
 2018/11/25   王であるキリスト       12/2〜のお知らせを記載しました。
 2018/11/19   年間第33主日        11/25〜のお知らせを記載しました。
 2018/11/11   年間第32主日        11/18〜のお知らせを記載しました。
 2018/11/04   年間第31主日        11/11〜のお知らせを記載しました。


ミサのお知らせ


2018年12月9日  待降節第2主日  宣教地召命促進の日献金 建設修繕積立献金

※ミサ中の共同祈願は北地区担当。

※信者会館の清掃は千種地区担当。

<9:30のミサ終了後>

※日曜学校(1〜3号室)

※コーヒーサービス(コムニタスホール)

<18:00のミサはタガログ語ミサです。>

 

2018年12月7日   初金曜日

※ミサの時間 7:00,10:00.18:30

10:00.18:30は信者会館2F聖マリア小聖堂

※主税町記念聖堂初金ミサ 10:00

布池だより 2018年 11月号 巻頭言

 

キリスト教の死生観

フランシスコ ザビエル 平田豊彦 神父

教会では11月は典礼歴の最後の月で、すでに亡くなった人を記念する月として大切にしています。
この死者の月は諸聖人の祝日をもって始まり、キリストの王である祭日を祝って典礼暦の一年を締めくくります。これには大事な精神的な意味が込められています。私たちの信仰生活の目的が神に召されるとき諸聖人の列に加えられることを願いつつこの世を生きることにあります。私たちの死亡率は100パーセントである。これからは誰も逃れることはできません。日本には古くから人の死生観として江戸時代の後期に活躍した曹洞宗の僧侶で歌人でもあった良寛和尚の辞世の句「うらをみせ おもてみせて ちるもみじ」の歌で人の死生観を美しく表現しているとよく言われます。それに対して私たちキリスト教の死生観はどうでしょうか?前述の良寛和尚の歌と何が違うのでしょうか。誰の死にも死ぬことへの恐怖感は伴います。その恐怖感をどう乗り越えるのかに宗教の果たす役割があると言えるでしょう。私たちキリスト信者にはその恐怖感を払拭するためにイエスが十字架を背負って下さったという信仰があります。この信仰が私たちの死生観に大きな意味をもたらしてくれています。この信仰の中で死と向き合うことでその恐怖感から解放されるのです。それはプールの縁で飛び込むのを尻込みしている我が子をプールの中から励ましながら両手を広げて飛び込む恐怖心から解放して信頼する父親の腕の中に飛び込むさまに例えることが出来るのではないでしょうか。それを良寛和尚の歌で表現すれば散っていくもみじの葉がその先に受け手である主のみ手の中にソフトランディングしていくイメージです。ここにキリスト教の明確な死生観があります。聖書には「わたしたちは死からいのち(死ぬことない命=復活の命)へと移ったことを知っています」(cf.Ⅰヨハネ3、14)とこの世の死が全ての終わりではないことを明確に記しています。これこそ主イエスが生前弟子たちを通して言われた「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(cf.ヨハネ11,25)と宣言されたキリスト者の信仰です。
この信仰を典礼暦を通して記念しながら、確認し共に復活への信仰を新たにし最後の祭日である「王であるキリスト」を記念することは、わたし達一人一人に課せられた大事な使徒職ではないでしょうか。今年の祭日には餅つきをして私たちの信仰の最も大切なテーマ「キリストの復活の命」にあずかる毎日を確認できるひと時としてお祝いしたいものです。

 

グループのお知らせ


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