カトリック布池教会

新着情報


 2017/02/19   年間第7主日          2/26〜のお知らせを記載しました。
 2017/02/12   年間第6主日          2/19〜のお知らせを記載しました。
 2017/02/05   年間第5主日          2/12〜のお知らせを記載しました。
 2017/01/29   年間第4主日          2/ 3〜のお知らせを記載しました。
 2017/01/24   年間第3主日          1/29〜のお知らせを記載しました。
 

ミサのお知らせ


2017年2月26日   年間第8主日  世界こども助け合いの日献金・建設修繕積立献金

※ミサ中の共同祈願は名東地区担当。

※信者会館の清掃は東地区担当。

※合同清掃

 

<9:30のミサは終了後>

※日曜学校(1−3号室)

※コーヒーサービス(コムニタスホール)

<18:00のミサは英語ミサです。>

 

※今年は3月1日が灰の水曜日(大斎・小斎)です。聖灰を作りますので、昨年の受難の主日(枝の主日)の枝を2月26日(日)までに、お持ち下さい。

 

布池だより 2017年 2月号 巻頭言

 

ジュスト高山右近ー 日本とフィリピンを結ぶ人

フェルディマール・バカリサ・ファミニアラガオ

 ジュスト高山右近が2017年2月7日に列福されます。これに関連して、少々右近のことを語り、その苦難から学びたいと思います。ジュスト高山右近は1553年に生まれ、12歳のときに洗礼を受けました。キリシタン大名であり武将でもあった右近は、茶道の師範として初期に活躍した人としても記憶されています。茶道具を潔めるゆったりした繊細な所作が、ミサで聖変化のためにパンとぶどう酒をととのえる司祭の動きに似ていることは、これで説明がつくでしょう・

右近の苦難は、1587年のキリスト教徒弾圧の動きと同時に始まりました。豊臣秀吉からは棄教せぬなら領土も武将の地位も召し上げるという通達を受けます。秀吉へ恭順の意を誓う一方、右近はより偉大な主であるイエス・キリストに従うため富も地位も権力も進んで差し出すと応えたのです。

しばらくの謹慎の後、1588年に金沢の大名、前田利家の元に預けられました。そこには1614年のキリスト教徒弾圧まで留めおかれたのですが、殉教者として死ぬことは認められず国外追放を宣告されたのでした。

1614年2月16日、右近は金沢を離れ長崎へ送られました。11月8日にマニラ行きの船に乗せられ、12月11日、家族や他の日本人信徒と一緒にマニラに到着しました。1615年1月、右近は病を得、2月5日に亡くなりました。マニラ到着のわずか40日後でした。

ジュスト高山右近の像がマニラのパコという古い町にあるディラオ広場に立っています。ジュスト高山右近はマニラで亡くなり、ロレンツォ・ルイスは長崎で殉教しました。右近はロレンツォのように苦痛を伴う殉教で亡くなったのではありませんが1615年にマニラで迎えた死は、信仰を守るために耐えた迫害のもたらした結果であることは明らかです。右近の信仰が故の苦難は日本とフィリピンを結ぶ最も堅固な絆なのです。

福者ジュスト高山右近よ、我らのために祈り給え!

 

Justo Takayama Ukon: A Connection between Japan and the Philippines

Justo Takayama Ukon will be beatified on February 7, 2017. And with this regard, I want to talk a little bit about him, and I hope we learn from his martyrdom.

Justo Takayama Ukon was born in 1553 and was baptized at the age of 12. Aside from his fame as a Christian Daimyo and military general, he is also remembered as one of the early masters of the Tea Ceremony, which probably explains why the slow, delicate movements of the cleaning of the vessels resemble the movement of priest preparing the bread and wine for consecration at Mass. His troubles coincided with the persecution of Christians in 1587. He received a message from Toyotomi Hideyoshi asking him to give up his faith or lose his fief and position in the army. He replied that while he made an oath of allegiance to Toyotomi Hideyoshi, he was prepared to give up wealth, position, and power to follow a greater lord, Jesus Christ. In 1588, after lying low for some time, he was taken as prisoner by Maeda Toshiie, the Daimyo of Kanazawa. He remained in Kanazawa until the Christian persecution of 1614 where he was denied a martyr’s death but sentenced to exile. He left Kanazawa on February 15, 1614 to Nagasaki where he boarded a boat for Manila on November 8. He arrived in Manila on December 11 together with his family and other Japanese Christians. Sometime in January 1615, he fell ill and died on February 5, only 40 days after his arrival in Manila. A statue of Justo Takayama Ukon stands in Plaza Dilao, in the old town of Paco, Manila.

Justo Takayama Ukon died in Manila, and Lorenzo Ruiz died a martyr in Nagasaki. While Justo Takayama Ukon did not meet a painful martyr’s death like Lorenzo Ruiz did, it has been argued that his end in Manila in 1615 resulted from the persecution he endured for his faith. And so, martyrdom of the faith is the greatest link between Japan and the Philippines.

Blessed Justo Takayama Ukon, Pray for Us!

 

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