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主のご降誕おめでとうございます
カトリック布池教会主任司祭
フランシスコ ザビエル平田豊彦
今年も昨年来からの新型コロナウイルス禍でのクリスマスとなりました。 次々と変異株による脅威は世界中を苦しめていますが、 そもそも人類の歴史は感染症との戦いの連続であると言われています。そんな中でクリスマスをどのように祝えば良いのでしょうか。
 旧約聖書の預言者イザヤは「闇の中を歩む民は、光を見 死の陰の地に住む者の上に、 光が輝いた。」(cf.イザ9,1-)とクリスマス (救い主の到来)の喜びを表現しています。
当時の人々の生活は、 まさに闇の中を歩いて生きる不安に満ちたものであったと言えるでしょう。政治的にはダビデ王以来の王国の崩壊から長い間他国の支配下での苦難が続き、 当時もなおローマ帝国の支配下に置かれ、 民族のプライドも奪われ、圧倒的な他国の力の下で生きていかざるを得なかった時代でもありました。 そこに洗礼者ヨハネが荒野からこのイザヤの預言の言葉を持って、 様々な壁(苦しみ)からの解放をもたらす救い主(キリスト) が到来する! と現れました。それはイスラエルの人々にとっては旧約の長い歴史の中で流してきた涙がぬぐわれ、年千年もの間待ち望んでいた救いが実現するとの喜びに満たされたことでしょう。 その時、 その喜びがどれ程のものであるかをイザヤは「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ 沙漠よ、喜び、 花を咲かせよ 野ばらの花を一面」 (cf.イザ35,1-)に咲き誇る喜びであると預言的に表現しています。
 こうして救い主イエスの誕生によってもたらされる喜びは、単に救い主·イエスの誕生にあるだけでなく、 同時にそれが終末論的解放の時が到来したことを意味していました
つまり「キリストの日 (キリストの再臨)に備えて……とがめられるところのない者」(フィ1,10)となるように、 「本当に重要なことを見分わけ…知る力と見抜く力とを身につけ」 (フィ1,9)て、このクリスマスを祝うことが、洗礼者ヨハネが荒野と表現している日々の生活を意味ある豊かな愛に満ちたものとして、 そこから見えてくるキリストの再臨の時に備えて、 身を起こして頭を上げた(cf.ルカ21,23)生き方に努めていくことが求められています。
 こうしたクリスマス (受肉の神秘)の両面性を祝ってこそ真のイエスの降誕を喜ぶことにつながっていくのではないでしょうか。
この一年が受肉の神秘によって全ての人々にもたらされる救いの実り多い年でありますようにと祈りましょう。

 

布池だより 2021年 2月号 巻頭言

 

四旬節に際して
ミカエル・ヨゼフ・マリア 平澤忠雄神父
去年は2月26日に四旬節が始まったが、今年は2月17日 (灰の水曜日)に始まる。四旬節というと特別な教会の典礼の季節であり、毎年、信者も司祭も改めて心の襟を正す季節である。「ここで笑わないとダメですよ」とはある漫才師の決まり文句だが、ここで心を改めないと、ついつい「教会の季節で何ということはないね」で過ごしてしまい、 何でカトリックの信者になったのか、 なぜ日々回心して主への愛に目覚めて心を新たにしなければならない人生を選び取ったのか、さっぱりわからなくなる。神言会士のアブリ神父様が1999年に那須のトラピスチン(厳律シトー会)で発行された 「四旬節(聖霊の季節) の解説」 を見ると、小生のようなものでも心の様を正してこの季節に入っていかねばならないと思うようになる。
四旬節のテーマ、 または最初の呼び声はやはり「時は満ちた。 神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」である。
「イスラエルの歴史の始まりは出エジブトの40年間の荒野の旅である。」とある。この旅の招きに一人一人が応えて、自分の人生の旅をキリストへの道として生活すべきものと教える。40年という荒野の旅は、 シナイ半島を迂回して世代交代を続けて先祖の土地への旅を敢行した。 40という数字は人の一生の象徴であり、その40は神から始まった。 キリスト者の一生は人によってではなく、神の導きによって始まる。 回心は神の憐れみを乞い願うことで始まる。キリスト者は神の愛によって、 自分の日常生活のうちに主なる神が近いこと、人間の自分が生きるためには神の愛が必要であることを祈る。 神が身近におられることを知れば、 自分の生活のうちに神の言葉としるしが顕現してくる。神は洗礼の時から、すべてのキリスト者に回心の恵みを生きるための力として与えられる。それはキリスト者が神の言葉に従うためである。人はそうした全き従順と信頼によって神にまみえることができるが、それはイエスとザアカイとの出会い(ルカ19)に象徴的に示されている。そこではイエス様に近づくことは、まずイエス様の方からなされ、それに応える人間の願望と信頼と期待とが相まって実現している。イエス様が近づかれると人の生命と生活は刷新される。これは全ての秘跡の基本になっている。人は自分の力によるのではなくて神の恵みを受ける。それでキリスト者は四旬節中、 毎日の生活を神の呼びかけに対する応答とみなさなければならない。 かくして神の力を体験し、その清めと解放の業から真の道を歩めるようになる。神の言葉こそ私たちの心の導きである。初代教会のキリスト者は聖体を人の心と体を変える力として求め受けたのであった。40日間の霊的修行で教会は信徒を導いてくれる。 その期間に信者は自分の生活のうちに神の愛が必要であることに気付き、自分自身を回復するのである。
四旬節の典礼は自分の救いの恵みを再発見するときである。 私が長崎の友人の神父から招かれて黙想会に呼ばれた時に引用した俳句を結びとしたい。
「己が身に秋を染めぬくとんぼかな」
堀麦水(1718-1783)

 

布池だより 2020年 12月号 巻頭言

 

待障節と主の降誕を迎えるに際して
ミカエル・ヨゼフ・マリア 平澤忠雄神父
コロナの年の待降節·降誕節が始まります。今年は四旬節の第一主日(3月1日)は無事でしたが、その後はコロナの影響をもろに被って、ある意味で惨憺たる10ヶ月になってしまいました。にもかかわらず、私たちカトリック者は今年もまた、 待降節を迎え、降誕祭を準備しています。

待降節は主の降誕祭を待つ4週間の典礼であり、毎年待ちに待った主の降誕、主のご公現を通して、 私たちの救いの希望の実現が着々と進められていることを体験し、 典礼の中に私たち自身が神からの救い主イエス様を待つ身であることを実感するのです。しかし、 実を言えばイエス様ご自身も私たちが日々回心して神様に向かって歩み続けることを待っておられるのです。

待降節·降誕節の回心とは、 私たちが主の降誕祭を迎えると共に、降誕なさるイエス様の方も天国で私たちを待って下さっているということに思いを巡らせることです。 それを私たちが「ミサで聖体拝領するからまぁいいか」と澄ましているならば、まだそのことがわかっていないということでしょう。
取税人ザアカイはイエス様を弟子と共に招待した時、大急ぎで家に帰り、掃除をし、家の者等にそのことを伝え、恐らく、良い服装を着させ、食卓を整え、イエス様と弟子たちを迎えてイエス様が喜ばれる回心の実を披露しました。(ルカ19章1-10節)ザアカイにはイエス様を迎える回心の喜びがあったのです。 私たちも彼に倣って今年の待降節の中身をしっかり見据えて、 イエス様を迎える準備をしましょう。

イエス様に来ていただくことはザアカイには無量の喜びでした。 そうして、何もかもイエス様に捧げてしまいました。イエス様も「この家に救い (主)が来た」とおっしゃっておられます。
私たちも今年のコロナの中で待降節を迎えますが、ザアカイが主をお迎えしたように心を整えてお迎えしましょう。
「心を整えて喜んで主の降誕を待つ」(神言会ユリウス・アブリ神父)のが待降節なのです。

 

布池だより 2020年 11月号 巻頭言

 

The Story of My Roses
Fr.Junior Perezperalta
Two potted rose plants were placed in my garden summer of last year by a volunteer.It bloomed beautiful roses for a while. Some few months after, I decided to transplantthe roses from the pots to the ground. It has adopted quite good for quite sometime and it  continued blooming gorgeous roses. I cut some branches from one, and planted it in a new pot.Soon after, the transplanted rose plants started to wither, even if I have watered it every day. Sadly, one day they just completely dried out.The branch that I planted in the new pot, fortunately, grew healthy leaves and bloomed sakura like colored roses.Our lives, amidst the corona pandemic, seems to wither fast. And at times
may die like thosetransplanted flowers. But hopefully with the eyes of faith, trusting in a God who never leaves us,we journey on and one day bloom roses of deeper wisdom, faith, hope, and love.  Like the branch that I cut off from the main branch, probably these times call us to cutting offportions of our way of life that leads to withering and death of our spiritual lives.By doing so we may have new life in Christ. May we persevere in faith in God as we move forward.

 

日本語訳

The Story of My Roses

昨年の夏、一人のボランティアの方が私の庭にバラの鉢植えを2つ置いてくださった。
しばらくの間、美しいバラの花が咲いていた。数か月後、私はそのバラを植木鉢から土に植えかえようと決めた。植え替えがうまくいったのか、素晴らしいバラの花が咲き続けた。私は何本かの枝を切って新しい植木鉢に植えた。ところが、毎日かかさず水遣りをしたにもかかわらず、植え替えたバラは枯れ始めたのだ。悲しいことに、ある日すべてのバラが枯れてしまった。幸い、新しい植木鉢に植えた枝は生き生きした葉をつけて桜色のバラの花が咲いた。新型コロナウィルス感染が広がるなか、私達の命も急速に衰え、植え替えられた花のように命尽きることもあるのかもしれない。しかし、信仰の目を持ちいつも私達と共にいてくださる神様を信頼して私達の旅を続けよう。そして、いつの日か深い知恵と信仰、希望、愛というバラの花が咲くだろう。私が切ったバラの枝のように、今このときは、私達の精神生活がそこなわれていくような生き方から自分たちを切り離すときなのかもしれない。そうすることによって、私達はキリストにおいて新たな命をいただくことができるのかもしれない。前へと進むなかで神への信仰において努力していくことができますように。         アンヘル・ペラルタ・ジュニア  神父

 

布池だより 2020年 8.9月号 巻頭言

 

コロナ禍で想う平和

フランシスコザビエル 平田豊彦 神父

 今年も梅雨の長雨とひとたび降り始めると激甚化してくる最近の自然現象で、九州地方をはじめとして日本各地に災害が発生しています。災害で罹災した方々にお見舞いと一日も早い復旧復興をお祈りします。

さて、8月に入り世界平和を祈願しその実現に向けての具体的な行動をするカトリック平和旬間がやってきます。今年はコロナ禍にあって、共に集うことが思うように出来ません、名古屋教区としては「各ブロックでの取り組みを!」と、司教様からの提案でしたが、コロナの状況がなかなか改善する傾向になく、止むなく各小教区レベルでその意向を持って取り組むことになりました。

今年は先の戦争からの様々な節目、先の大戦で多大な犠牲を強いられた沖縄戦から75年、長崎・広島被爆から75年、等々を迎えて、教会は不戦の誓いと恒久平和への願いの意を込めた声明文を発表しました。今回も、日本カトリック司教団は、戦後75年 平和メッセ―ジ「すべてのいのちを守るため ―平和は希望の道のり―」を発表しました。その全文は名古屋教区報7月号かカトリック新聞6月28日号に記載されてありますので、是非この機会に読み、教会が何を意図して世界平和を祈願しているかを理解しながら、各自の取り組みに生かしていく必要があります。声明文の中に沖縄県平和祈念資料館の出口で刻み込まれてある碑文の結びのことばの一部が引用されてあります、

「(略)戦争をおこすのは たしかに 人間です しかし それ以上に 戦争を許さない努力のできるのも 私たち 人間ではないでしょうか(略) これが あまりにも大きな代償を払って得た ゆずることのできない 私たちの信条なのです」

まさに私たち人類は度重なる戦争で払ってきた代償で何を学んできたのでしょうか?いまだに大国は軍拡競争を止めるどころか、ますます深刻な局面に立ち入ろうとしてその方向へ舵を切ろうとはしません。昨年の教皇フランシスコの訪日時に発せられた、軍拡競争はまさにテロ行為です!と言う教皇様の踏み込んだメッセージを私たちの信条に照らして沖縄語「ヌチドゥいのちこそ 宝」を今こそ主張して、私の平和ではなく、主の平和を実現していく努力が求められています。

更に、今年は2015年に発表された回勅「ラウダート・シ」から5年目を迎え、フランシスコ教皇は、私たちに環境問題について考え具体的な取り組みと行動をもって対応をすることを強く促すため特別年(2020・5・24~2021・5・24)を設定されました。コロナ感染症の蔓延する全世界において、全被造物の命を守るために積極的な取り組みを通して、私たちの共通の家である地球環境を大切にすることの重要性を共有しながらそれぞれの取り組みの実効性を上げていくためにどんな努力が求められているのでしょうか。祈りの内に理解を深めていくように聖霊の照らしを求めていきましょう。

 

布池だより 2020年 7月号 巻頭言

 

ある7月の思い出

ミカエル・マリア・ヨゼフ 平澤忠雄 神父

 7月と言えば私は昭和20年(1945年)の夏、7月19日に米軍の爆撃機B-29が120機飛来して福井市の中心部に沢山の焼夷弾を落とした夜のことを思いだします。その当時、私は宝永小学3年、兄は福井商業中学1年でした。夜、7時頃ラジオで「空襲警報」を聞いた後すぐ町中を細い道を北に向かって走り逃げたと思います。私の家から500~600m離れた所に北陸中学校があり、そこの校門のところに防空壕があり、兄と私はそこに入ろうとしたら、消防団員の人から「そんなところに入ったら死んでしまう。田んぼか畑の方に逃げなさいや!」と言われ、私と兄は更に200~300m走って、畑の中から福井市の焼けるのを眺めていました。翌朝、ある神社の社で父母と会うことが出来ました。

1993年は私の司祭叙階の30周年でした。その年は丁度南山大学のリーマー神父様が学長を降りる時で、アメリカのシカゴに帰郷されると聞いて、学長室を訪ねて「私も丁度この夏に米国に行くのですがシカゴに神父様のお宅を訪ねていいですか?」と伺うと二つ返事でOK.シカゴ郊外の静かな町に行って、神父様のお家で共同ミサ。そして、素晴らしい屋外でのパーティーにも参加させていただきました。その年にカンサス州のウィチタに京都教区に修道院と施設を持っているウィチタのヨゼフ会の本部修道院を訪ねた時のことSr.マリア・マーガッレット・スウィリクさんがB29の製造工場のあった場所に案内して下さり、そこの見学館に入った時、一枚のカラー写真に目が止まった。それは「福井市上空から焼夷弾を落としているB29機の兵隊と燃えている福井市が写されていました。「シスター、このB29の写真は私の故郷福井(1945年7月19日)のものですよ」と私が言うと「あ、そっーですか!」と驚いていました。私は生まれて初めてB29から見た福井市を見ることが出来たのでした。恐らく、福井の人間でB29の工場跡に行ったのは私ぐらいのものでしょう。と感慨ひとしおでした。7月の夏が来ると私は福井市の空襲を思い起こすのです。そして、あの時に死んでいたら今日の私はいないのだなぁーとつくづく思うのです。

 

布池だより 2020年 5月号 巻頭言

 

アヴェ・マリアの祈り

アウグスティヌス 太田 実 神父

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。
アベ・マリアの祈りの前半部はルカ福音書の大天使ガブリエルがおとめマリアを訪れて、「おめでとう、恵まれた方。
主があなたと共におられる」という祝福する言葉と、年老いたエリザベトの妊娠を知ったマリアがエリザベトを気遣って、山里のエリザベトを訪問したときに、喜びの内にマリアと胎内のイエスを賛美するエリザベトの言葉、「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。」から構成されています。この前半部の原型は六世紀の東方典礼書でかくにんされています。
後半部の「神の母聖マリア、今も、死を迎える時も、お祈りください」という祈りは、一六世紀に加えられ、現在のかたちになりました。
ヨーロッパでは一四世紀に、ペストの大流行があり、ところによっては人口の三分の二から四分の三が数年の内に死んだと言われています。私は、アヴェ・マリアの祈りの後半部分は、死の恐怖にさらされるなかで、人々が聖母マリアの保護と取り次ぎを願って付け加えたのではないかと思います。全世界で新型コロナウィルスによる感染症の嵐が吹き荒れています。大勢の方の死が報道されています。この未曾有の事態の中で不安で心が押しつぶされそうな方々もいらっしゃることだと思います。
しかし、本来人間は死すべき存在であり、神に授かった命をお返しする日まで、毎日を感謝し、共に助け合って生きるしかないのだと思います。フランスの小説家アルベール・カミユの『ペスト』には、主義や立場の違いで日頃は対立している人々が、一致協力して疫病に立ち向かう姿が描かれています。キリシタン時代の教理書『ドチリイナ・キリシタン』(キリスト教の教理)には、この後半部は、「でうすのおんはは さんた・まりあ、いまも、われらがさいごにも、われら あくにんのために たのみたまえ」とほぼ現在の形で伝えられています。日本の潜伏キリシタンたちも激しい迫害のなかで、コンフラリア(組講)と主の祈りやアヴェ・マリアなどのオラショを祈ることによって、信仰を守り伝えました。私たちも信仰の先達にならい、祈り、生きることができますように。

 

布池だより 2020年 3月号 巻頭言

 

二人の友の死

ミカエル マリア ヨゼフ 平澤忠雄 神父

1月15日(水)午前中、私はMさんのカテキズム第二回目をやっていた。突然、兄の長男良典君から電話があった。「神父さんの友達の青木敏夫さんが亡くなられた。通夜は今晩8時、葬式は明日11時S葬祭場でありますが、来られますか?」とのこと。私は夕方の特急「しらさぎ」で福井にかけつけ、20時頃、お宅に入って枕辺に座って、目をあけている彼の死顔に向かって「昨年秋、11月5日に福井に来た時お会いできなくてごめんね。今日は君が仕立ててくれた背広を着て来たんだよ」と言い、私は少し祈った。何しろ彼とは幼稚園の時から小学校、中学校までずっと同じところに通ってきた仲であり、遠い親戚でもあった。万感胸に迫るものがあった。

1月26日に「Y君が亡くなられた」とその息子の幸雄氏か27日の夕方に来て私に28日通夜、29日の朝10時に葬儀ミサをしてくれと頼みに来られた。1951年私と彼とは南山高校生として昭和区萩原町にあった聖ヨハネ小神学院から上智の学生として、東京カトリック神学院哲学部と神学部で学び、布池教会で1963年の3月には松岡司教様から助祭職を頂いた仲間であり、布池教会の司祭館で新司祭として7年間一緒に働いた仲間であった。彼は尾張旭の老人ホームで亡くなられたと言う。私は言葉に詰まった。無論、私は彼の通夜と葬儀ミサを果たした。彼の娘と息子の案内で八事の墓地にも同道した。私にとっては二人の友の突然の訃報に接して、死は思いもかけない時に来るのかと再認識した。死で人の一生は終わる。その日、その時、時は止まる。この世での「私」と言う意識は「自覚」はなくなる。
「いよいよ、これが最後だ」と悟って死ぬものはほとんどいない。
(モンテーニュ・随想録第2巻、第13章)又、フランスの実存哲学者ガブリエル・マンセル氏は上智大学に来られた時の講演で「Je suis mon corps 」「私は私の体である」と言われたことが思い出されて仕方がない。

 

布池だより 2020年 2月号 巻頭言

 

キリシタンの旅

アウグスティヌス 太田 実 神父

長崎の二十六聖人記念館の入り口にある「キリシタンの旅」と題されたパネルには次のような言葉が書かれてます。

 

日本の教会史の中には数多くの旅が見られる

一.西洋と日本を結んだザビエルと他の宣教師または天正少年使節や支倉常長の旅

二.平和のときにも 迫害のときにも 日本を歩きまわった アルメイダ、デ・アンジェリス、岐部、金鍔らの宣教の旅

神を賛美しながら十字架の道を歩く二十六聖人、高山右近、雲仙などの殉教者の旅

三.信仰の自由を守る潜伏キリシタンとりわけ浦上の信徒のたび

 

パネルに記された人々の生涯を調べると、それぞれ独自の仕方で信仰を生き抜いたことが分かります。

特に私が感銘を受けるのは宣教師がいなくなった後にオラショと言われる祈りと互いの助け合いによって信仰を守り抜いた潜伏キリシタンのいとなみです。

昨年十二月に世界文化遺産に指定された「長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産」のうち、天草の崎津集落と原城跡を巡礼しました。

崎津集落では、潜伏キリシタンたちが神社の氏子になり、大黒天や恵比須神をデウスに、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てて、信仰を守り通したと教えて頂きました。

また原城跡近くの「有馬キリシタン遺産記念館」では、「原城跡」や、「日野江城跡」、同時に当時の神学校だった「有馬のセミナリヨ」などを紹介して頂きました。

今回の巡礼で改めて思ったことは「文化遺産」とは建造物を指すのではなく、そこでいとなまれた信仰や人々の生活形態のことなのだということです。

今日私が信じているこの信仰は、大勢の信仰の先達の血と涙と汗で染まった「共有遺産」であり、私もまた次の人たちに受け継ぐ必要があることを実感しました。

聖地や殉教地への巡礼は、信仰の先達のいとなみの跡を訪ね歩きながら、私たちの人生自体が神に向けての旅であることを確認することではないでしょうか。

二月は名古屋教区で栄国寺と金沢教会・卯辰山で殉教者祭が行われます。信仰を生き抜いた人々を思い見ると共に、彼らによって受け継がれた信仰を生きる決意を新たにしたいです。

 

布池だより 2019年 12.1月号 巻頭言

 

☆知るは好むにしかず、好むは楽しむにしかず 論語の中の孔子の言葉

ミカエル マリア ヨゼフ 平澤忠雄 神父

私が司教館に住まいを始めたころ、港教会のトマス・パーセル神父(本人はトマト・パセリ)と言っていました。この神父から電話がありました。
「こちら港警察署です。平澤神父様は居るか?」
「私です」と答えると
「すぐに港警察署へ来んね!」
「はい、すぐ行くとです」と言って、港教会に行きますと、「聖和住宅の「聖心会のシスターのところでミサば、てくれんね」と言って、中古の車に私を乗せて、聖和住宅(パーセル神父がフィラデルフィアの本部から借金をして建てた長崎の人々のための住宅)の一番西にある聖心会の修道院まで行きました。
私はそこで夕べのミサのあとでお茶の時間にレアクリームチーズケーキが出てきました。
私がこんなど田舎にケーキ屋さんがあるんですか?と言いましたらSrKが「これは私がお造りしましたのです。」と言ってレシピを書いてくれ「神父様、司教館に帰って、お造りなさいませ」と言われました。
私も司教館に戻って、早速、レシピ通り材料を揃えて作って、相馬司教様や岩崎一二三神父様にあしましたら、大変好評でして、私は調子にのって色々な所に行って作って大喜びされました。
そこで、私は孔子の論語の言葉を使って黙想会などにレシピを書いて配布し、時には黙想会の参加者に食べてもらいました。
私の人気が上がりました!
黙想会では「カトリック信者生活」とは何か知るとこは大事です。カトリック信者生活を大好きになって下さい。
その次には「カトリック信者生活を楽しんでください」それは孔子によれば、論語によれば、人間最高のレヴェルに生きる術です。と結びの話をして回ったのです。
何か知ることはいいことです。何かを好むことはもっといいことです。しかし、何かを楽しむというのは最高にいいことです!
よい待降節とよい降誕祭とよい年末年始をお送りください。