長崎の二十六聖人記念館の入り口にある「キリシタンの旅」と題されたパネルには次のような言葉が書かれてます。
日本の教会史の中には数多くの旅が見られる
一.西洋と日本を結んだザビエルと他の宣教師または天正少年使節や支倉常長の旅
二.平和のときにも 迫害のときにも 日本を歩きまわった アルメイダ、デ・アンジェリス、岐部、金鍔らの宣教の旅
神を賛美しながら十字架の道を歩く二十六聖人、高山右近、雲仙などの殉教者の旅
三.信仰の自由を守る潜伏キリシタンとりわけ浦上の信徒のたび
パネルに記された人々の生涯を調べると、それぞれ独自の仕方で信仰を生き抜いたことが分かります。
特に私が感銘を受けるのは宣教師がいなくなった後にオラショと言われる祈りと互いの助け合いによって信仰を守り抜いた潜伏キリシタンのいとなみです。
昨年十二月に世界文化遺産に指定された「長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産」のうち、天草の崎津集落と原城跡を巡礼しました。
崎津集落では、潜伏キリシタンたちが神社の氏子になり、大黒天や恵比須神をデウスに、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てて、信仰を守り通したと教えて頂きました。
また原城跡近くの「有馬キリシタン遺産記念館」では、「原城跡」や、「日野江城跡」、同時に当時の神学校だった「有馬のセミナリヨ」などを紹介して頂きました。
今回の巡礼で改めて思ったことは「文化遺産」とは建造物を指すのではなく、そこでいとなまれた信仰や人々の生活形態のことなのだということです。
今日私が信じているこの信仰は、大勢の信仰の先達の血と涙と汗で染まった「共有遺産」であり、私もまた次の人たちに受け継ぐ必要があることを実感しました。
聖地や殉教地への巡礼は、信仰の先達のいとなみの跡を訪ね歩きながら、私たちの人生自体が神に向けての旅であることを確認することではないでしょうか。
二月は名古屋教区で栄国寺と金沢教会・卯辰山で殉教者祭が行われます。信仰を生き抜いた人々を思い見ると共に、彼らによって受け継がれた信仰を生きる決意を新たにしたいです。 |